院長 尾口 英太郎 の自己紹介

幼少の頃

私は古都で知られる京都で生まれました。
親からは泣き虫だったと聞かされていますが、不思議とお寺に行くと泣き止んだそうです。
今でも大仏やお寺巡りは大好きです。

小学校の頃

小学校の時の私は勉強が大好きでした。
そのおかげで成績も上がり、ついには一番になりました。
この時は本当にうれしくて、もっと頭がよくなりたい、もっと勉強していい学校に通いたいという気持ちが強くなり、親に相談して中学校受験をすることになりました。
いま自分で思い返してもとんでもない小学生だなと思います。

中学校、高校時代

努力の結果、無事に中学校受験に受かることができました。
このときに『努力は裏切らないんだ』ということを確信しました。

入学したのは奈良にある中高一貫のエスカレーター式の学校でした。
ここでもまた一生懸命勉強して一番になろうと気合いも十分、毎日毎日勉強をしていました。
ところが、初めての試験での結果がひどいものだったのです。
なんと小学校では一番だった僕が、中学校では真ん中位の成績だったのです。

自分が今までいかに井の中の蛙だったのかを思い知らされた瞬間でした。
このときの出来事があまりにもショックで、それ以来、勉強にも身が入らず、気がつけば成績は下位の方まで下がっていました。

そんな現状にも危機感を覚えることなく、学校の帰りはゲームセンターや本屋によって時間をつぶす日々。

普通であれば三年後に高校受験があるので勉強をやり直すきっかけがあるかもしれませんが、皮肉にも中高エスカレーター式の学校に努力して入っているため、ずるずると勉強しないまま時は過ぎ大学受験が迫る頃になっていました。

担任の先生はそんな僕なのに、いつも「大丈夫、尾口はやればできるんだ。」と励ましてくれました。小学校で一番の成績をとったこともあり、「そうだよな、ちゃんと頑張って勉強すれば、また一番を取れるよな。」と努力にあぐらをかいているにもかかわらず、自信だけはずっと持ち続けていました。


両親はとても優しくて、親からすれば怒りたい気持ちをぐっとこらえて、僕が自分から動き出すのを、ずっと信じて待っていてくれたので成績が下がっても怒られることはなく、優しく見守っていてくれました。

僕はそんな周囲の優しさに気づくことなく、『やればできる』にすがり、結局、大学受験に失敗しました。

しかし、さすがに留年をしてしまうと両親にも顔を合わせ辛く、いたたまれない気持ちから、また勉強をはじめました。それはもう、猛烈に努力をしました。

その結果無事に大学に合格し、『やればできる』という自信をさらに深めることになりました。

大学時代

大学時代はたくさんの友人に恵まれました。
自然の多い松本の方の大学に入ったので、仲間と一緒にキャンプなどを企画して参加メンバーを集い、みんなに喜ばれるキャンプイベントを大成功させることができました。

チームでひとつの目標に向かって努力していく達成感のすばらしさを実感しました。
いままで一人で勉強をしてきたけど『みんなでひとつのものを勝ち得るって素晴らしいことだし、なんて楽しいんだろう』という気持ちになりました。

そういうこともあり、尾口歯科クリニックではチームの素晴らしさを理解しているスタッフばかりを集めています。スタッフ一同、患者さんのお口の健康を良くするためにチーム一丸となって取り組んでいます。

大学時代の後半は、がむしゃらに知識の習得に時間を費やしました。
前半遊んで落ちこぼれてしまった分を取り返すために、尋常じゃないくらいの勉強をしました。体力から考えてあれ以上の努力はもうできないと思います。

大学を卒業後は補綴化にいた強みを生かせる医院で勉強と経験を重ね、当時お世話になった院長先生にお墨付きをいただき、独立することにしました。

患者のみなさんへ

両親には本当に心配をかけたと思います。今では父と母にとても感謝しています。

僕が歯科医師になれたのは父や母、友人や恩師の優しさのおかげです。

これからは僕がみんなから受けた優しさを治療を通して、患者さんにお返しすることが、両親やみんなに対しての恩返しでもあると考えるようになりました。

小学校の時のように、これからもたくさん勉強をして、まずは豊中市で一番の歯医者さんになろうと思います。

努力に努力を重ねれば絶対になれる。『やればできる』が僕にはあります。

患者さんにはその過程を治療を通して見てもらえればと思います。

最高の治療とわかりやすい説明をモットーに真摯な姿勢で治療に取り組み、患者さんに喜んで通ってもらえるようにこれからも頑張ります。

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